とても役に立つ考え方として、
こころがけていることがあります。
それは良いことが起きたら、
その原因は私か、私のご先祖様か、会社や業界の先輩達か、
いずれかに良い行いの結果として起きている
悪いことが起きたら、
同じように自分か、自分のご先祖様、諸先輩達の
悪行!?の結果として起きている
と、思うことにしています。
いわゆる因果応報ってやつですね。
私は特に特定の宗教を信仰しているということはなく、
どこにでもいる、何でもあり系ティピコージャパニーズですが、
(たぶん結婚式とか、クリスマス毛嫌いしてるのに彼女に迎合してキリスト教式とかになるんだと思います)
中学生くらいの頃かな、
なんとなく「そうかなぁ」と思い、
「そうなんだろう」という仮説の下
一応十数年生きてきた中で
ウソかマコトかは別として ←神のみぞ知る!
「精神衛生を保つため」には
とても有効な考え方だという結論に達しています。
あとは、社会に対するアウトプットの質もそれにより向上するということも
検証出来ていると(私個人においてですが)思います。
以前にも触れましたが、
会社の、特にホッタのように老舗の代表者をやっていると、
因果応報の「因」が、ご先祖様や諸先輩によるものなのに
「果」は沢山頂いちゃったりするんですよね。
これを「勘違い」して、全部自分で食べちゃう人は、
多分道を踏み外して行かれるんだと思われます。
これを「重荷」として、「責任」として、
「ノブレスオブリージュ」的な考えのもと、
自分の出来る仕事を通じて「恩返し」を出来れば、
心も体も、組織も、健康なまま生きていくことが出来るかと思います。
そういう意味において、
4月10日にフォルツハイムで行った
ドイツ語の分からない子供にドイツ語教育を!
というテーマで行ったチャリティーコンサートは、
皆さんに「喜んで頂けた!」ということに対する喜び以上に
多少なりとも過分なる「果」に対し「恩返し」が出来たこと、
そして「善い」循環のサイクルを回す、
というか、その「流れ」の中に、自分の好きな音楽を通して
「身を投じる」ことが出来たということに
大きな喜びを感じます。
早かれ遅かれ、どうせ死んでしまうんですから。
どうせだったら「善い循環」の中に身を投じ、
生きていきたいですよね。
そして、自分の行いは、
かならず自分か、自分の後に続くものに
「影響を与える」と思うことで、
自分の行為を律すること、
キザな言い方をすれば、
美しく生きることが出来るんだと思います。
そういう人(=人生に深い意味を見出す人)が増えないと、
我々の扱う時計やダイヤモンド、指輪は
単なるお金持ちの権威誇示的イヤラシイものになってしまうでしょう。
わがままな私は、
やはり「美しく生きる人」に対して商いをしていきたいと思います。
ただでさえストレス多いので、精神衛生上特に。
そして、まだまだずっと先のことですが、
次世代に「経営」のバトンを渡す時に、
その方が成り手の「やりがい」や「やり易さ」も
そうじゃなかったら比、ダントツ!なはずです。
人口以上に就労人口は減りますし、
誇りを持てる仕事を創っていくというのが
そういう意味でも(人が集まらなければ企業は成り立ちませんので)
大切なことだろうと思います。
話しがそれたような、それていないような、、、ですが、
精神衛生を保つために、、色々考えを巡らすの巻でした。