幻冬舎刊、小説『風流時圭男』をお送りした方々から、御礼や感謝、感想の手紙、メール、電話が山のように(少々オーバーですが)届いており、感動しております。
タイトルに書いた言葉、
時々人の人生とはそういうものだなぁとしみじみ思うことがあります。
今回色々な方からお手紙を頂いて、なおさらその感を強めてヲリ。
私たち3人の兄弟は、それぞれに父や母の憧れの中で生きていると思うことがあります。
父は祖父の長男として生まれたときから会社を継ぐことを期待され、重たい宿命を背負いながら、自分の「夢」の部分はあまり出さずに、本業から外れることは無く生きてきたと思います。
ただ、父の見た夢というのは家のそこかしこに在り、
それは積んである本であり、かかっているCD(小学校位まではレコード)であり、
はたまたよく連れて行ってもらった自然の中に在り。
我々兄弟3人は、キャラクターは全く違いますが、どう考えても父の憧れの中を生きているとしか言い様がありません。
こう考える時、夢や憧れというのは一人の人生で完結するものではなく、世代から世代へ。
またはその夢に共感する人から人へと、終わりの無い旅の中で「生きつづけて行く」ものなのだなと思います。
(サッカーの)カズは(ブラジル代表の)ペレに憧れ、
ペレの憧れの中で生きている。
そしてそのカズに憧れた多くのサッカー少年は今
Jリーガーとしてその憧れの中に生きている。
私自身深く、父や母の憧れの中で生きていると思いますし、
もうすこし考えを進めてみると、自分の抱いた憧れを、
まだ見ぬ誰かが生きることになり、
自分の人生では終えることが出来ない憧れも、
いつの日にか誰かが成し得てくれる。
そう思えば、今我々が何を夢見、何を語っていくのか。
それが未来の日本、未来の世界にとってとても重要だという事実。
さぁ、、、何を夢見ましょうか?
みなさん、どうぞ良いお年をお迎え下さい。
「フウリュウトケイオトコ」楽しく読ませていただきました。
著者の竹内氏は脚本家出身らしく、ムダのない流れと描き出す情景がイメージ豊かで、読み物としても素晴らしかったです。
いつのまにか、相田家の物語りとして没入していました。
ときおり、「そうだっ、これは堀田家の物語りなのだ」と自分に言い聞かせるほどでした。
それにしても、魅力的な人物ですね禄造さんは。時代ということもあるけれど、やはり人生は一度きり!! っていうのが真実だよね。
この話の商人に比べると、最近の商人は面白味が少ないかも…。なんだか汲々としていてさ。
ところどころにしかけられた、涙腺を刺激する台詞。たとえば179ページ、菊奴の葬儀を済ませた後、さなと禄造の「水炊き」でのシーン。『あたしの思い出、ひとつだけ持っといてね』
くぅ〜ぅ、泣けるねぇ。
ほかにもいっぱいあるけど、ここで私の涙はちょちょぎれました。
堀留町、芳町(人形町)など馴染みの地名。そのうえ、ワシントン・スクェア、ニューヨークですから。なんだか自分の時計のゼンマイもぐりぐり巻かれました。
日本の近代が目の前を通り過ぎて行く。そんなリアリティがありましたよ。これらの描写も偏ることなく、自然に必要最低限の説明で巧いです。
まぁ、「人生には巡り合わせ」ってものがね、確かにあると思うよ、私の実感だっ。禄造さんじゃぁないけれど、全部肯定するのが正しいンじゃない、ねぇ相田俊樹さん。
胸はっていこうよ。
いいハナシ聞かせてもらったな。アリガトヨ。
投稿情報: 佐藤浩 | 2007年12 月27日 (木) 15:59
佐藤社長~。
ありがとうございます。
ありがとうございますー。
うれしいです。
来年は胸張って(100メートル走者のように)走ります。
投稿情報: 堀田峰明 | 2007年12 月28日 (金) 08:53
年末にあづみ野コンサートホールにお伺いした際に、館長より例の本をすすめられ、2日間で一気に読破してしまいました。
以前お会いした際に「当たり前のような生き方をしても人生面白くないじゃないか」と言われた言葉と本の主人公のひいおじいさまの生き方がが重なって興味深く読ませていただきました。
連絡先をお聞きそびれてしまったので、こちらに感想を書きました。
またお会いできる日を楽しみにしております。
投稿情報: 佐藤暢夫 | 2008年1 月 3日 (木) 22:56
What a joy to find such clear tihnnkig. Thanks for posting!
投稿情報: Kim | 2012年5 月11日 (金) 10:17