「失う」なんて言ったら多くの方から怒られてしまいそうですが、
ずーっと左右1.5だった視力が、
ここ何年かの健診で左だけ1.0になり、
ハードスケジュールが続くと
さらにガチャ目になっているような気がして、
今までハッキリ見えたものが、
ぼんやりとしか見えないということが最近よくあります。
そういう状況になって、はじめて、
音楽家時代、一緒にやっていた視力が0.1あるかないかの
笛吹きの先輩から言われた、
「峰ちゃん、相手の表情が見えないから、
雰囲気とか、オーラとかをより感じることができるんですよ」
(正確な表現ではないですが、そのような内容だったはず。。)
というセリフが、最近物凄くよくわかります。
焦点を合わせようとしても見えないので、
あきらめて、全体の雰囲気を見るようにすると、
今までとは違ったものの見え方、感じ方ができるようになるのです。
これって結構驚きですし、
どっちの方が情報量が多いだろう、、?
と考えたとき、
ひょっとすると、
一点凝視するより、
全体を俯瞰したり、
雰囲気(聴覚や嗅覚なども動員して)も含めて
味わった方が、
より多くの情報を得られるような気がします。
モチロン見えたに越したことは無いのですが、
見えたものが見えなくなることによって生まれる変化を、
楽しんでいる自分がいる今日この頃です。
ちょっと話は飛躍しますが、
先日亡くなったアップルの創業者、
スティーブジョブスは、
17歳の時から、毎朝自分に、
「今日が人生最後の日だとしたら、
私は今日する予定のことをしたいと思うだろうか」。
と問いかけて、生きてきたそうです。
つまり、明日以降の未来を「失った」と過程してみることで、
「見えてくる」ものがある、、
そこで「見えた」ものを、
「追いかけていく」
これの積み重ねが、
現在のアップルを作り上げたんでしょう。
「失うことで見えてくるもの」
「失うとしたら、と仮定することで、見えてくるもの」
忙しい中でも、本当にやるべきことを
なるべく選びとって、濃い人生を送りたいと思う今日この頃です。
皆さんもよき人生を!
ジョブスさんのご冥福を祈りつつ。。
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