これもどこかで誰かが言っていて、
記憶に残っている最近のフレーズ。
「癒し系」や「癒し」というフレーズは、
思い出してみれば10年ほど前から
市民権を得てきたように思います。
ただ、自分自身が世の中における
「癒し」的な要素を担当する?音楽の世界に
身をおいていたときから、
(今も時間にして3%、意識にして30%?)
何かこの言葉に違和感を感じていました。
癒しというのは、必要ですが、
それだけでは完結するものではなく、
癒された後、何をするのか?
どこに進むのか?
それが大切なわけですよね。
ちょっと説明が難しいのですが、
とにかく、今、
人々は「癒し」ではなく、「励まし」を求めている。
というフレーズに、
なんとなく「真実の香り」がしたものですから、
皆さまとシェアさせて頂きたく。
「癒し」→「励まし」→「達成」→「共に喜びを分かち合う」
「励まし」が「癒し」と違うのは、
そこに主体と客体との間に同じベクトルが共有されていること。
「ベクトル」の明示と共有が必要。
それに基づき、「応援」する。
力が足し算ではなく、掛け算に。
休み明けでちょっと脳味噌の切れが悪く、
いつもより分かりにくい気がしますが、
とりあえずUPしておきます。
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