皆さま、明けましておめでとうございます。
今年のお正月、皆さんはどこで、誰と、どのように迎えられましたか?
私は昨年引越しをした両親の新居にて、
お屠蘇とお雑煮をすすりながらという
「典型的な日本の平和なお正月」を過ごすことが出来ました。
両親が引っ越した先は、13階建ての12階部分で、
晴れているとビルの間から小さくですが富士山が見えます。
(私のマンションからは東の空少々と隣の中高の廊下しか見えません、、、羨ましい~。。。)
この日晴れ渡った太平洋側にいた方にはよく伝わると思いますが、
今年のお正月は本当に良い天気でしたね。
その快晴の中、ビルの向こうに浮かぶ神々しい白富士を見たとき、
何とも言えない感慨が込み上げてきました。
大体一昨年の夏あたりから、今回のお引越しプロジェクトが始動したのですが、
そもそも祖父が名古屋から東京へ本社機能の移転を決断し、
あたらしい本拠地として棲みついてから約50年。
堀田家と言えば「H町」、
親族からも、「H町」というのが我々ファミリーの代名詞だったり、、、
というようなところですが、お隣、それも庭の向こうの南側と西側に面したお隣さんが
4年かけて80メートル超のタワーを2棟、
4000坪という面積で大々的に再開発をするという計画が持ち上がり、
その過程で毎日起こるであろう震度5~6クラスの振動と騒音に、
寝たきりの祖母をそのままにするのか?
折角自宅が良いと言っていたので在宅介護しているのに、
わざわざ騒音対策の為に本人の好きではない病院に入れるのか?
最終的に計画が完了した場合、我々の敷地は完全に「僻地」になってしまい、
資産価値が著しく低下することは否めない、、、
などなど諸々検討し、色々な方に相談に乗って頂いた結果、
この「ゆかりの地」を手放すという決断をしました。
そしてその決断をしてから売却の交渉と、
並行して祖母の引越し先、両親の引越し先の3つのプロジェクトが走り出し、
時を同じくしてこちらも50年以上過ごした御徒町からの本社移転先も決まり、
実家の売却、引越し×2に加え、移転の為の諸々の作業もあり、
昨年はなんやかんやと慌しい一年でした。
仕事の方では就任以来暖めていたドイツリング専門店を9月にオープン、
名古屋の営業所も移転し、名古屋のベェルビーも改装、、、。
昨年は色々な意味で、新しい時代に対応するために、ファミリーの部分でも、
会社の部分でも汗を流した一年だったように思います。
そして、その慌しい2007年も終わり、
休みに入り、高校サッカー部の友人や、
大学で映画の上映をやった仲間達、音楽関連の知人との忘年会や
大晦日の自分の誕生会(@両親宅)など、
仕事を離れ、プライベートのリラックスした時間を年末過ごしての元旦になってやっと、
昨年自分が成した事は、すべて将来にわたって家族と会社が繁栄して行く基礎作りであったということに気づきました。
そして、「格別の富士」ということになったのだと思います。
よく義務を果たさなければ権利を得ることは出来ないと言いますし、
汗を流した後のオニギリがやたらと美味しいように、
自分のことはさておきと言わないまでも、プライベートはかなり後回しにして(M子さん、ごめんなさい)、
大きな意味での「家族」の将来の為働けたことで、
今回の「報酬」(=タイトル)につながったんだと深く思います。
「はたらく」という事の本質を、誰かが「傍(はた、かたわら)」にいる人を「楽」にするという事だと喝破していましたが、
そう、そうなのだ!
白く輝く富士を見て、深く頷くお正月でした。
この「報酬」は美味しすぎます。
食べ応え、ありすぎます。
そして癖になる、というか、もっと大きな感動を得たいと思いました。(基本欲張り。)
と、言うことで、今年は目一杯働きます。
がんばったらがんばった分だけ報われる。
そう富士山が教えてくれたから(我ながらクサいですね~)。
でも本当にそうですよ。
若い人、特に働きましょう。
本当の意味での報酬は、
とにかく一生懸命働いた者にしか与えられない。
そしてそういう働きをしている人間には
かならず大きな仕事が与えられる。
大きな仕事には大抵普通より大きな報酬がついてきます。
少なくともうちの会社はそうありたい。
本年もどうぞよろしくお願いいたします!
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