感慨深いです。
「あれから」の「あれ」とは、
1999年の11月末の出来事。
長調の曲の中で短調のメロディを奏でているような
短調の曲の中で長調のメロディを奏でているような…
その年の3月に無事大学を卒業し、
悩んだ挙句、自分の目の前にあり、
掌でその「意義」や「意味」をたしかに確かめることが出来ている
唯一の職業である「音楽家としての道」を歩み始め、
初めてのCDを世に問うたのが、
丁度10年前の99年11月の末のことでした。
(公式には12月1日)
そして、それと時を同じくして、
父であり、当時の株式会社ホッタの親分(社長)は、
朝自分で呂律(ろれつ)が回らないことに気づき、
救急車を呼び、脳梗塞で緊急入院したのでした。
家族にとっては突然の出来事で、
そのまま死んでしまうのではないかと、
不安を感じつつも、なんとか年内に退院が出来、
お正月は家族水入らず(=5名)で迎えることは出来ましたが、、、
短調にたとえたのは、この父の病から始まる
自分にとっては得体の知れぬ「ホッタという事業」を
背負わねばならぬ日が来るかも知れないという不安感。
そして唯一人の父親が、元気ではないという現実は、
演奏旅行にでも出ない限り、毎日向き合わなければいけないという日常。
長調にたとえたのは、音楽家としての歩みが
本格的に始まり、その年の9月にはフジのニュースジャパンに取り上げられ、
九州ツアーを成功させ、そのまま信州国際音楽村でのレコーディングに入り、
初めてのCDをリリースした後、好評が好評を呼び、手売りなのに
たったの2ヶ月で何百万という初期投資を回収。
翌年1月2月には、初のソロアルバムの録音を南アルプスで凍えながら行い、
卒業丸一年の4月1日には自分名義のファーストアルバムがリリース、、
ある意味「勢いに乗っていた時期」であったと回想します。
ただしその裏には「短調」な曲が流れていたわけです。
そして今、私は父の跡を継ぎ、社長業と時々音楽家な毎日。
それもあと一ヶ月で丸6年=小学校卒業?です。
17歳の夏、暑い湘南のグラウンドで現役最後の大会に敗れ
負けた悔しさとキャプテンなのに試合に出れなかったという悔しさに
涙をこれでもかというほど流し、
たまたまその3日後に家族+αで行くことになっていた(勝ち残れば行かなかった)
中国は内モンゴルの旅行に、5年間完全にハコの中で眠っていた
オカリナを取り出し、持って行ったことがキッカケで、
サッカー人としての歩みから、劇的に音楽を中心に据えた歩みに
チェンジしたのが10年前から5年前の、15年前 … 1994。
これから5年後、10年後、15年後、、
私は何をしているのでしょうか?
少なくとも言えることは、
目の前にある、掌に感じられる
たしかな感覚を大切に、
一生懸命やっていけば、
かならず未来は開けるはずであるということ。
これまでたった32.9年の歩みではありますが
これは断言できます。
10年前にリリースしたCDを、
今日は久しぶりにかけています。
「CDアルバム」とは、よく言ったもので、
たしかに「アルバム」です。
そこに22歳の自分がいます。
(音楽家ページの写真はまさにコノ頃)←年齢些少?詐称?
10年の歳月の彫刻
自分の心に、しっかりと「YES!」を刻み、
やたらと予定が詰まっている年末年始、
そして三途の川を渡るまでの「とき」を、
短調だろうが、長調だろうが、
美しく、人の心に響く旋律を奏でて生きたい今日この頃。
10年。
早い。
10年。
濃い。
10年。
味わい深い。
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