出張先の神戸のホテルからおはようございます。
昨日は時計業界の輝ける名店、神戸のカミネさんの新年会に出席してきました。
4代目の現社長のリーダーシップのもと、着実に一歩一歩進まれているカミネさんですが、ここまで来る道は平坦ではなかったようです。
当然13年前のあの地震の時もご他聞にもれず危機に瀕し、そこから立ち上がってきての今日(こんにち)の「繁栄」なのですが、
地震直後、社長以下お店の皆さんが意気消沈していたとき、父上である会長(現83歳、超元気!)がタイトルの、
「誰も殺しにはこんやろ」
この一言で皆我に返り、勇気付けられ、会社にふたたび命が吹き込まれたようになったそうです。
この言葉は沖縄で戦争を体験された会長だからこそ!
あの震災も悲惨でしたが(1月末から10日余り長田区の配送センターに行ってました)、戦争と比べれば確かに大したことはなかったんでしょう。
ドンゾコを知っている人の強みって凄いなと思います。
僕自身も経営者としての薫陶、のようなものは、祖父からも父からも叩き込まれた経験はないのですが、
祖母の静子からはいかに戦争のとき産まれたばかりの父をおぶって
空襲の中を逃げ回って大変な思いをしたか、
戦後祖父といかに苦労して今の会社を築き上げたのか、
ということは本人がトイレに行きたくなるまで(平均約3時間;笑)、
何でこんな会社をお前は継ぎたくないのか!
というお説教と共に何度聴かされたことか、、、。
その時は決して心地よいものではなかったですが(当たり前!)、
今思えばあのような話をコンコンとしてもらえたのはたぶん孫の中でも僕くらいだと思いますので
(他の妹弟、従兄弟、従姉妹達はかわいがるだけか、いつ結婚するんだ、どの学校を受験するんだといった類の世話焼き)
戦争を知らない世代としては貴重な体験だったと思います。
母方の祖父(86)も戦争体験者で陸軍でフィリピンへ行っていた時の話を時々してくれます。
印象的なのは、
あともう少し歩くだけで助かったのに、
「もう駄目だ~」
と思い、諦め、そこで息絶えた仲間がいかに多かったのか。
生存者はその隊?で3分の1で、亡くなった3分の2の方の多くは
「あと少しの踏ん張り」で生還することができたそうです。
あとは、物凄く人使いの粗い、皆から嫌われていた上長が、
戦闘時のどさくさに紛れ、後ろから撃たれたり、、
ということがあったなんていうのも印象的でした。
社長業やる身として、そうならないようにしたいです(冷汗)。
後ろから鉄砲がきたらひとたまりもありません。
ビジネスはある面戦争であることは誰もが認めるところだと思いますが、
そこで勝ち残っていくためには個々の戦闘力、全体の戦略、戦術、
そして戦略を共有し、実行していくチームワークが大切ですよね。
命のやりとりである実際の戦争の体験者からは、
企業を経営していくにあたっての示唆が物凄くありますね。
こういう話をするとキナ臭くなってしまいますが、
僕は常々現代の企業経営は人をどれだけ幸せにできるかの競争である
と思っています。
お客様が幸せを感じないと、お金を払ってもらえない。
社員の皆さんが幸せでないと、働くモチベーションが落ちるし、
最後には誰もいなくなってしまう。
時計宝飾業界で生きる以上、この業界で働くことが、
他の業界よりも、と言うより、この業界ならではの「幸せ」がある!
ということを我々が発信していかないと、長期的に危険だと思います。
特にこの求人難の時代には。。。
話がそれましたが、この3月にこのカミネ会長の戦争体験記が
幻冬舎より! 発刊されるそうです。
楽しみですね!
カミネさんの益々のご発展をお祈りいたします。
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