昨日クラシックのコンサートへお招きを頂き、行って来ました。
前半は指揮者無しの室内楽(バイオリン、ビオラ、チェロ、コントラバスの20人位編成)でモーツァルトとショスターコビッチ
後半は韓国人の著名バイオリニストをソリストに迎え、その室内楽(指揮者無し)+チェンバロいう編成でと有名なヴィバルディの四季を。
どんなアンサンブルでも最初の出だしというのは中々息が合わないもので、曲が進んでいくに従って、徐々に馴染んで行き、良い「ハーモニー」が生まれてきます。
そして聴く方も最初はまだ「ざわざわ」して音楽に集中できていませんが、曲が進むに連れて段々耳が慣れ、意識も音楽に集中して来るので曲が進むに連れて奏者と聴衆との間に良い「空気」が生まれてきます。
今回も大体そういう流れで、前半終わって非常に良い空気が生まれました。
そして後半は実力派若手バイオリニストがソリストとして登場。
こういう時にかわいそうなのは、一番目立つソリストだけが、皆と「空気」を共有出来ていないということ。
アンサンブルはもう前半の4~50分で充分体も耳も良い状態になっているところに、まだウォーミングアップが出来ていない状態で入る訳ですから大変です。
ハッキリ言って最初は音が微妙にズレるし、リキんでかなり前のめりに弾いてしまうし、、、。
こちらから見れば「おいおい大丈夫か!?」(心の声)
共演者から見れば「おいおいちゃんと弾けよ!」(勿論心の声)
しかし、そこはさすが千両役者、すぐにペースを掴んで最後には大きな拍手をもらえるところまで持っていってくれました。
どんなに優れた人であっても、ある程度馴染んだ組織の中にいきなり入り、最初から不協和音無く活躍するということは難しいし、ある意味ありえないことでしょう。
最初の「違和感」がより「音」に対する意識を研ぎ澄ませ、
各人の「理想のイメージ」に対する希求心を掻き立て、
結果としてより厚みのあるハーモニーが生まれる。
よくオーケストラを組織にたとえますが、まさに同じことですね。
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