お休みの日なので、
仕事とは違うネタで、お一つ。
(とは言っても、明日会社でメールボックスを開けたら、
僕からのお願いメールが色んな人に、多い人は複数、
それも相当な作業をしないと応えられないメールが
届いていますので、ご安心!?ください)
メールの整理をしていたら、
物凄く、日本人として勇気付けられるメルマガの記事に出会いました。
読者のみなさまと共有させて頂きたく、
URLと出典元を記載すれば転載可とのことで、
下記にコピペさせていただきます。
┏━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┓
┃▼▽ 心が元気になる話 ▽▼
┃
☆ アジアからの声 ────────────────── hideおじさん
鳩山首相は「村山談話」を尊重すると言っている。アジア諸国に多大なる迷惑
をかけたことへの反省を口にするが、そのアジアから次のような声が挙がって
いたことにも耳を傾けてもらいたい。
┌--------「アラムシャ=インドネシア陸軍中将」
日本の戦争目的は植民地主義の打倒であった。その目的の大半は達成したが、
南アフリカ、アジアにまだ残っている。そんな時に行った村山演説は、植民地
主義打倒の悲願を放棄したことになる。
村山さんは、日本の果たしてきた歴史を踏まえ、アジア・アフリカの悲願を代
表して、まだ残る植民地主義を攻撃すべきであった。
かつての日本は、スカルノ、ハッタ、バー・モウ、ラウレル・アキノ、汪兆銘
チャンドラ・ボース等を応援したのに、たった一度の敗戦で大切な目的を忘れ
てしまったのは遺憾である。
└--------
┌--------「ククリット・プラモード=タイ国元首相」
日本のお陰で、アジアの諸国はすべて独立した。日本というお母さんは難産し
て母体を損ったが、生まれた子供はすくすくと育っている。
今日、東南アジア諸国民がアメリカやイギリスと対等に話ができるのは、一体
誰のお陰であるのか。それは『身を殺して仁をなした』日本というお母さんが
あった為である。
12月8日は、我々にこの重大な思想を示してくれたお母さんが、一身を賭し
て重大決意された日である。更に8月15日は、我々の大切なお母さんが病の
床に伏した日である。
ーーー我々は、この2つの日を忘れてはならない。
└--------
┌--------「マハティール・ビン・モハマド=マレーシア元首相」
日本は、いつまでアメリカの言いなりになり続けるのか。なぜ欧米の価値観に
振り回され、古きよき心と習慣を捨ててしまうのか。一体、いつまで謝罪外交
を続けるのか。
そして、若者は何を目指せばいいのか。
日本人には先人の勤勉な血が流れている。自信を取り戻し、アジアのため世界
のためにリーダーシップを発揮してほしい。
日本の戦争責任を問うならば、それより以前、非人間的な支配と収奪をつづけ
た欧米宗主国の責任はどうなるのか。日本が来たことで、植民地支配から解放
され、近代化がもたらされたことを忘れてはならない。
└--------
┌--------「ジャマル・アリ=インドネシア・タイムス会長」
ばかばかしい、針小棒大である。ひとりの兵隊にひとりの慰安婦がいたという
のか。どうしてインドネシアのよいところを映さない。こんな番組、両国の友
好に何の役にも立たない。
我々には、日本罵倒体質の韓国や中国と違って、歴史とプライドがある。「お
金をくれ」などとは、360年間我が国を支配したオランダにだって要求しな
い。
日本のテレビ製作会社のドキュメンタリー「IANFU(慰安婦)インドネシア
の場合には」に対するコメント
└--------
┌--------「パンデイット夫人=インド・元国連総会議長」
日本を貶めようとする内外の歴史家や自虐史観に立つ人たちは、これまで太平
洋戦争がもたらしたアジアの民族主義への影響をことさら無視し続け、あるい
は過小評価してきました。
└--------
┌--------「ウー・ヌー=ビルマ元外相、1943年8月1日独立時の演説」
歴史は、高い理想主義と、目的の高潔さに動かされたある国が、抑圧された民
衆の解放と福祉のためにのみ生命と財産を犠牲にした例をひとつぐらい見るべ
きだ。
そして日本は、人類の歴史上、初めてこの歴史的役割を果たすべく運命づけら
れていたかに見える。
└--------
┌--------「ヤダフ=インド国民軍大尉」
インドが、日本のお陰を蒙っていることは言語に尽くせない大きなものがあり
ます。
偉大な貴国は、インドを解放するにあたって可能な限りの軍事援助を提供しま
した。何十万人にものぼる日本軍将兵が、インド国民軍の戦友として共に血と
汗と涙を流してくれました。
インド国民軍は、日本帝国陸軍がインドの大義のために払った崇高な犠牲を、
永久に忘れません。インドの独立は日本陸軍によってもたらされました。
ここに、日印両国のきずながいっそう強められることを祈念します。
└--------
┌--------「トモ=インドネシア元情報相」
日本軍が、米・蘭・仏を我々の面前で徹底的に打ちのめしてくれた。我々は、
白人の弱体と醜態ぶりをみてアジア人全部が自信をもち独立は近いと知った。
一度持った自信は決して崩壊しない。そもそも大東亜戦争は我々の戦争であり
我々がやらねばならなかった。そして実は、我々の力でやりたかった。
└--------
┌--------「アジス=マレーシア・マラヤ大学副学長」
私たちは、マレー半島を進撃してゆく日本軍に歓呼の声を上げました。敗れて
逃げてゆくイギリス軍を見たときに、今まで感じたことのない興奮を覚えまし
た。
日本軍は、永い間アジア各国を植民地として支配していた西欧の勢力を追い払
い、とても白人には勝てないと諦めていたアジアの民族に、驚異の感動と自信
を与えてくれました。
└--------
┌--------「モハマド=マレーシア外務省情報センター所長」
これまで独立なんて考えたこともなかったので、徐々に植民地にされたのです
が、日本の軍政下で反植民地主義に目覚めたのでした。
民族意識は若者に影響を与え、彼らはもはや怠けてはいませんでした。皆、立
ち上がったのです。
これまでになかった大変貴重な3年と8ヶ月の経験でした。
└--------
┌--------「ネール=インド首相」
アジアの一国である日本の(日露戦争の)勝利は、アジアの総ての国々に大きな
影響を与えた。ヨーロッパの一大強国が破れたとすれば、アジアは昔たびたび
そうであったように、今でもヨーロッパを打ち破ることができるはずだ。
ナショナリズムは急速に東方諸国に広がり『アジア人のアジア』の叫びが起き
た。日本の勝利は、アジアにとって偉大な救いであった。
└--------
┌--------「アブドル・ハリス・ナシオン=インドネシア元国防軍参謀総長」
独立できたの要素の第一は、日本軍が植民地政治体制を粉砕したことです。
第二は、日本軍の猛烈な軍事訓練です。日本軍は大変立派なことをしてくれま
した。
日本は、歴史に残ることをしてくれました。誰も変えることのできない真実で
す。
└--------
┌--------「ズルキフリ・ルピス=インドネシア元陸軍大佐」
大東亜戦争が契機となって、アジアからアフリカまで独立しました。日本にだ
け犠牲を払わせてすまないと思っています。そして、大東亜戦争中の日本軍政
の特徴は、魂を持ってきてくれたことです。
我々と苦楽を共にし、農作業や各種技術の初歩を教えてくれ、軍事訓練まで施
してくれました。
└--------
┌--------「モハメッド・ナチール=インドネシア元首相」
日本軍は「武器を渡すことはできない」と言いました。連合軍の命令で決まっ
たことなのでしょう。しかし、私たちは日本軍の立場を理解していたので「プ
ラプラ(知らぬふりをする)」「サンディワラ(お芝居する)」をすることにしま
した。
というのは、日本軍は私たちに武器をくれたがっているいることが判っていた
からです。そこで私たちが、大勢で竹槍を持って、ワァーワァー騒ぐと、日本
軍は待っていたらしく、サァッと逃げ、私たちに武器を渡す。
ーーーそういうことをしばらく続けました。
└--------
┌--------「シャフィー=元マレーシア外務大臣」
とくに私が惜しいと思うのは、日本ぐらいアジアのために尽くした国はないの
に、それを日本の政治家が否定することだ。責任感をもった政治家だったら、
次のように言うだろう。
「その頃、アジア諸国はほとんど 欧米の植民地になっていて、独立国はない
に等しかった。日本軍は、その欧米の勢力を追い払ったのだ。
それに対してゲリラやテロで歯向かってきたら、治安を守るために弾圧するの
は当然でないか。諸君らは何十年何百年にわたって、彼らからどんなひどい仕
打ちを受けたか忘れたのか?
日本軍が進撃した時には、あんなに歓呼して迎えながら、負けたら自分のこと
は棚に上げて責任をすべて日本にかぶせてしまう。そのアジア人のことなかれ
主義が、欧米の植民地から脱却できなかった原因ではないのか」と。
└--------
= この稿おわり =
出典:≪ WEB 熱線 ≫ アジアの街角から
⇒ http://archive.mag2.com/0000074019/index.html