六代目 若社長日記

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「物語を織り成す」というコトバからの連想。

 

「物語を織りなす」

 

というコトバ、

 

好きです。

 

 

そして、

 

「織り成す」

 

というコトバも。 

 

 

 

「物語」には、

 

「時代背景」があり、

 

「登場人物」がいて、

 

それらが複雑に絡み合って

 

「物語」が「織り成されて」行くわけですが、

 

 

たとえば「美しい物語を織り成す」といった場合、

 

その「物語」が、一枚の「美しいタペストリー」であるかのような印象を受けます。

 

一枚のタペストリーは、

 

一本一本の「糸」が、

 

織り手によって、

 

丁寧に織り込まれていくことによって出来上がりますが、

 

私たち、一人一人は、

 

ここで例えるならば一本の「糸」なんでしょう。

 

 

それぞれに、

 

「個性」という「色」と、

 

「寿命」という「長さ」。

 

人生の「濃さ」は、糸に例えれば「太さ」でしょうか?

 

どのような人と隣り合わせになるか、、というのは、

 

いわゆる「ご縁」ってやつですね。

 

 

単なるモノとしての「タペストリー」、

 

そしてそれを構成する

 

「糸」

 

のことについて言及するのであれば、

 

美しいタペストリーを織り上げる為に必要なのは、

 

「美しい糸」と「織り手」の腕、

 

ということなのでしょうが、

 

我々には、

 

「どのような糸であろうとするか」

 

という部分と、

 

「織り手」の仕事である、

 

「どの糸と(=仲間と、パートナーと)隣り合わせになるか」

 

といった部分で、少なからず「作り手側」に回れる側面があります。

 

 

また、「組織運営」や「会社経営」という観点から、

 

この「たとえ」を使って考えてみれば、

 

どのような物語を織り成すか=どのように美しい織物を織り上げるか?

 

という視点では、

 

一人のリーダーが出来ること、

 

また、一人一人のメンバーが出来ることは、

 

とてもたくさんあることに気づきます。

 

 

今年はレキシア銀座が誕生して10周年の年、

 

宝飾事業を始めて50周年の年、

 

そして創業133年、戦後再建65年、

 

プライベートでは、

 

結婚して5年目、

 

家族が3人になって2年目、

 

 

色々なユニットごとに、

 

それがこれからも「美しく」織り成されていくように、

 

良き「糸」となれるように、

 

良き「織り手」であることができるように、

 

 

一日一日ベストを尽くしたいと思います。

 

 

2012年5 月15日 (火) | 個別ページ | コメント (0) | トラックバック (0)

今日は先々代の命日です。

 

ホッタという会社は、

 

創業が明治12年で、133年の歴史がある、、

 

という風に言っておりますが、

 

実際のところは、

 

四代目(三世代目)である先々代の祖父が事業を継承してすぐに

 

召集令状が来てしまい、約八年の休業を余儀なくされました。

 

戦前の家屋敷その他は殆ど焼失し、

 

戦争が終わって祖父が無事日本に帰ることが出来たのが

 

昭和21年の6月(父が2歳になる頃)で、

 

その約半年後に、奇跡的に空襲で焼け残っていた祖母の実家にて、

 

家業である時計卸商を再興したのが、現在の株式会社ホッタに繋がります。

 

(ここからは完全なる連続性が保たれています)

 

ですから、私はこの会社の創業者は二人いると思っておりまして、

 

一人は勿論明治一二年に創業した高祖父の堀田良助。

 

もう一人は、平成元年の今日亡くなった祖父の堀田良平です。

 

祖父が亡くなった時、私はまだ小学六年生でしたので、

 

当然仕事について何か教わったり、仕事をしている姿を見たり、、

 

ということはなかったのですが、

 

社長になってから、祖父の足跡や、

 

祖父の言った事を読み物や、実際に教えを受けた方や

 

お得意先の方からお聴きするにつけ、

 

祖父の人物像がだんだんと浮彫になってきて、

 

歴史の重みと、築き上げられた信用をベースに、

 

現在私達が商売させて頂けることに対する感謝の念が湧いてきます。

 

以前ここで少し書きましたが、

 

「創業」という難事を成し遂げた、

 

尊敬すべき祖父と同じお墓に入れてもらえるように、

 

今の時代を託された私は、

 

私なりのスタイルで、「守成」という難事業を、

 

多くの人の喜びと共に、

 

成し遂げて行きたいと思っています。

 

2012年3 月30日 (金) | 個別ページ | コメント (1) | トラックバック (0)

ポストに就くということについて。

 


「ポスト」が人を作るとはよく言ったもので、

 

そのポストにつくことで、自然と視野が広がり、視座が高まり、

 

時間と共に成長することが出来るというのは、

 

自分自身の経験だけ考えても、

 

 

周りの「長」たる立場に就いた人たちを見ても、

 

 

たしかにそうだと言えることと思います。

 



ただ、

 

 

「ポスト」というのは組織の中で有限であり、

 

私が今座っているポストも、

 

 

父が譲ってくれたことによって、

 

 

私に成長する機会が与えられたとも言え、

 



逆を返せば、

 

 

今私がこのポストに座っていることで、

 

他の誰かの「機会」を奪っているとも言えます。

 

 

 

組織の中で、責任あるポストに座っている人は、

 

そのことをよくハラに落として仕事をするべきでしょう。

 

 

極論を言ってしまえば、

 

「自分がこのポストにいるということは、

 

他の誰かの成長機会を奪っていること」

 

であり、

 

「それゆえに自分は多くの人の為に何が出来るかを考えて、

 

そのポストに与えられた仕事を全うすべき」

 

 

であると思います。

 


今朝、昨年シンガポールで出会った、

かの地の若き官僚(日本企業誘致担当)の訃報を聞き、

そのすぐ後に役職者と役職について語り合う機会があり、

ふとこんなことを、、

 

「ふと」 思ったのですが、

 

いろいろな意味で、

 

「たしかにそうだ。」

 

と、思えたので、

 

この場でも、

シェアさせて頂ければと思った次第です。

 

 

 

エドウィンさん、あなたに会えて良かった。

どうか安らかにお眠りください。

 

 

2012年2 月22日 (水) | 個別ページ | コメント (0) | トラックバック (0)

創業記念日&株主総会

 

本日2月17日は株式会社ホッタの創業記念日です。

 

(といっても明治12年のこの日に創業したのではなく、

戦後再建し、法人成りしたのがこの日ということで、創業記念日としています。)

 

戦時中は社長であった祖父が日中戦争から第二次大戦にかけて

兵隊にとられてしまった為、8年間休業していたのですが、

 

衛生兵として従軍したタイから復員したのが、

ちょうど父が2歳になるころの昭和21年の6月。

 

翌1月に、「時計卸商堀田良平商店」として

家業を再開し、その翌年昭和23年の2月17日に、

 

株式会社堀田時計店として、法人登記したのが、

現在の株式会社ホッタの始まりになります。

 

それから64年。

 

12月決算の当社は、

株主総会も大体この日近辺に行ってますが、

今年は平日なので、今日はこれから株主総会です。

 

過半数を堀田家で持っているいわゆるオーナー企業なので、

もろもろの議案が否決されることはまず無いわけですが、

 

各議案承認の為

 

「異議なし」 の声を、

 

出席株主(100%ホッタの役職員)の皆さんから頂けるかどうか、

 

というのは、自分の仕事に対する信任を

どれだけ皆さんから頂けているか?

 

ということと、かなりイコールだと思いますので、

 

結構身の引き締まる小一時間でもあります。

 

そうこうしてる間に時間になってしまいました。

 

それでは会場に行ってまいります。

 

2012年2 月17日 (金) | 個別ページ | コメント (0) | トラックバック (0)

景気が悪いのは誰のせい?


「経営者たるもの、ポストが赤いのも自分のせいだと思え!」

 


というような言葉があったように記憶しますが、

 

 

「景気が悪いのは誰のせいか?」という問いに対し、

 

同じように「自分のせい」として捉えると、面白いことが見えてきました。

 

 

本来あるべき姿として、

 

国の歳入は国債に頼ることなく

 

もろもろの税収でまかなうことが出来れば良いわけですが、

 

「もろもろの税収」の中の柱の一本、

 

「法人税」は、払っていない企業の方が多い!

 

 

かくいう弊社もリーマン後の赤字のため、

 

しばらく払ってません ⇒ 自分のせいその①

 

 

そして、国債をジャブジャブ発行できてしまうその裏側には、

 

使わないで貯めっぱなしの個人資産が1000兆円を軽く超えて存在するということがあります。

 

 

貯めっぱなしで、使わない理由の一つに、

 

「買いたいものが無い」

 

 

そう、われわれ商人の努力が足りない!! ⇒ 自分のせいその②

 

 

眠れる個人資産に風穴を開け、

 

生きたお金が世の中をぐるぐる廻るようにするのは、

 

まさに商人の務め!!

 

よりよいサービスを、よりよい商品を創造し、

 

しっかり稼いで税金を納める。

 

 

世の中を明るくするのは、自分だ!

 

という気持ちを持つ人が増えれば増えるほど、

 

いい国にできると思います。

 

 

ということで、仕事に励みたいと思います。

 

 

 

「景気が悪いのは誰のせい?」 の巻でした。

 

2012年2 月 7日 (火) | 個別ページ | コメント (1) | トラックバック (0)

入社10年。

 

タイトルの通りですが、本日2012年2月1日は、

 

私が株式会社ホッタに入社してから10周年の日になります。

 

大学在学中から音楽家として活動を始め、

 

「理想の職業とはまさにこのことだ!」

 

というような青臭いパッションを持ちながら

 

卒業後も演奏旅行という名の逃避行(*)を続けていた私に、

 

(*)そういう意識は当時なかったですが、

潜在意識的にはそうだったんだと今は分析してます

 

ある時当時の番頭さんが、

 

「会社を継ぐか継がないかは、会社に入ってみてから判断してください」

 

と説得され、

 

(父が99年に脳梗塞をやって、後継者をどうする?というのが当時バックにあったようです)

 

「月一回の役員会は必ず出席」

 

「それ以外は出れる時に出る(時給制)」

 

というような感じで、到底「入社」とは言えない状況でしたが、

 

そもそも自分は跡継ぎになりたくない、と思っていましたので、

 

社員の皆さんには申し訳ないと思いつつ、

 

「がんばりますのでよろしくお願いします」

 

と、心にもない言葉を最初の挨拶で発した自分に、

 

良心の呵責を感じたのは、今でもよく覚えています。

(ウソつくのは体によくないですよね)

 

 

本当に「とりあえず」会社に籍を入れたのが10年前。

 

まさかその翌年、怒涛の勢いで会社の経営に引きずり込まれ、

 

2年後の1月には社長に就任することになろうとは、

その時は知る由も無く。

 

まぁ、今となってはその時から役員会に出ていて本当に良かったですし、

 

一応机に座って伝票の類やら、過去の決算書やらを見ていたり、

 

K太刀さんのような同世代の社員さんから色々裏話?を聞いたり、

 

お酒の席で酔っぱらったO部長から「おいミネアキぃー!」とすごまれてみたり、、

 

それらのすべてはその後物凄く役立つことになったわけですが、

 

そういう諸々を観じてみても、

 

本当にホッタという会社はツキを持っている会社だと思います。

 

こうして10年経ってみると、

 

「10年」という年月で人も会社も凄く色々な経験が出来るなと

 

しみじみ思います。

 

しかも、なんだかわからないで始まった「10年」と、

 

今どこにいて、誰が何をできて、

 

皆でこれからどこに行こうとするか、

 

自分で考え、自分の言葉で語れるようになっている

 

今からの「10年」とでは、

 

おそらく今からの方がより「濃く」、「充実した」ものにできるのではないかと思っています。

 

 

敵は恐らく、「自分」。

 

 

 

今朝の朝礼でもお話ししました、

 

「あたりまえのことに感謝できる人」

 

で、あり続けられるかどうか、、

 

そこにかかっている気がします。

 

 

10年経って、10年間を思い返してみて、

 

色々な出来事に、微笑むことができる自分を観じ、

 

「未来から微笑みかけられる人間」でありたい。

 

 

そんなことを妄想しながら、お腹すいたのでランチに行ってまいります。

 

 

皆さまこれからの10年もどうぞよろしくお願いいたします。

 

 

 

2012年2 月 1日 (水) | 個別ページ | コメント (0) | トラックバック (0)

かくありたい姿

 

先月あたり、

フェースブック上でつぶやいたフレーズですが、

この場でもシェアさせていただきたく、投稿します。

 

【かくありたい姿(企業として)】

 

当たり前のレベルが物凄く高い会社。

かつ、当たり前のことに感謝できる人ばかりの会社。

 

(解説)

前者は小さな改善を積み重ねて、ホッタの「当たり前」が、

業界水準の中ではより高いところになるように努力してますので、

時間が経てば経つほど、練度が増せば増すほど出来ていくはずです。

 

後者については、普段から相当気を付けていなければ、

時間が経てば経つほど危うくなっていくものだと思います。

現時点でもまったくできてないと思いますので、

ことあるごとに、当たり前のありがたさを訴えて行きたいと思います。

 

【かくありたい姿(個人として)】

 

アンテナは高く、腰は低く、

 

そして動きはすばやく!

 

どちらも実現したいことなので、こういう場所に書くことで、

実現可能性を少しでも高めたいと思います。

 

話しは変わりますが、フェースブック、面白いですね。

やっている方で、私と会った事のある方、またはお取引いただいている会社の方、

ぜひ友達申請ください。

 

やっていない方、色々な意味で面白いので、

登録してみることをお勧めします。

 

色々な出会いや発見があるはずです。

 

 

2012年1 月 7日 (土) | 個別ページ | コメント (0) | トラックバック (0)

業界紙年頭所感

 皆さま、新年明けましておめでとうございます。

今回で9回目になろうかと思いますが、

恒例の業界紙年頭所感、こちらにもUPしておきます。

 

なんでこんな若造に執筆依頼が、、

という思いがありつつ書いてきた業界紙年頭所感ですが、

毎年業界の賀詞交歓会や新年あいさつ訪問先にて、

反響を聴くことが出来、ヨイショ半分なんでしょうが、

「いつも楽しみにしてます」というようなありがたいお言葉を頂くこともあり、

最近では少し前向きに取り組めるようになってます。

 

、、ということで、前置きが少し長くなりましたが、

下記が本文になります。

 

時計宝飾に携わる方々の心に、

少しでも火をともすことが出来れば幸いです。

 

*  *  *

 

私たち日本人にとって決して忘れることの出来ない様々な出来事に見舞われた

2011年が去り、この新しき年こそは良き年でありますようにと、

心よりお祈り申し上げます。

 

今回の震災によって、私達の日常がいかに脆いものか、

まざまざと見せつけられることとなりましたが、

それと同時に「命」の重みや「絆」の大切さといった事を

見つめ直すことにもなったと多くの方が思われたのではないでしょうか。

 

そして私達が生業としております「時計」や「ジュエリー」は、

たしかに生命の危機においては役に立たずとも、

私達が「それ」を買い求める時や誰かにプレゼントする時、される時に、

その「モノ」に意味が与えられることによって、

「生きる喜び」や「誇り」、「希望」や「絆」と言った、

人生をより良く、より濃く、より深く味わい生きる為に

大きく作用するエネルギーを増大化させる「アイコン」として、

それを身に着ける人の人生を照らし続けることができるという

稀有な「モノ」であるということが、改めて浮き彫りになったというのも

今回の震災だったのではないでしょうか。

 

「人はパンのみにて生きるにあらず」

 

動物でも植物でもない「人」として美しく生きる為に、

大いに役立つのが「時計」であり「ジュエリー」であり、

そう考えれば、人生の節目を飾る時計やジュエリーを販売し、

メンテナンスの窓口足り得るお店は、「文明国におけるインフラ」であり、

立地する地域においては、美しい人生を送る手助けをする

重要な拠点であると言っても過言では無いのではないか、

という思いを強くしております。

 

先行きに不安を感ずることの多い状況であればこそ、

自らの存在意義を高いところに定め、

本年の干支である龍の如く駆け巡る年にしたいと存じます。

 

本年もどうぞよろしくお願い申し上げます。

 

    *  *  *

 

ということで、今年得たインスピレーションは、

時計宝飾店は人が人生を美しく生きる為の、

「文明国におけるインフラ」である。

 

ということでした。

 

時計、ジュエリーに携わる皆さま、

2012、誇りを持って歩んでまいりましょう!!

2012年1 月 6日 (金) | 個別ページ | コメント (1) | トラックバック (0)

あまのじゃくの面目躍如!?

 

自称!? あまのじゃくの私。

 

クリスマスらしからぬ、ただ、

よく読むと、決してあまのじゃくではない!?

投稿をば、いたします。

 

まぁ、冗談や前置きはさておき、

先日からずっとここで紹介したいと思い、

カバンの中に潜ませていた、靖国神社の会報「靖国674号」

 

日下公人さんの

 

「昭和ひとけた生まれが考える英霊のこころ」

 

からの抜粋です。

 

目からウロコでした。

 

* * * * * *

 

今から私が書くのは英霊に対してではなく、

生き残った私より若い人に対してである。

 

(ちなみに日下さんは80歳なので、これを見ている人の99%が「若い人」にあたるでしょう)

 

(中略)

 

若い人がサイパン島へ新婚旅行へ行って、

日本軍の戦車を背景に写真をとっている風景を論じて

左翼的な先生は「日本はおろかな戦争をしたおろかな国だった」

と、教え、右翼の評論家は「兵士が生命を捧げた武器に腰をかけるとは何事か」

と、慨嘆するが、昭和19年当時の日本人の心を知っている私の感想はまるで違う。

 

兵士は喜んでいるだろう。

戦車のまわりで大いに遊んであげるのが最大の功徳だ。

 

(中略)

 

英霊はそういう幸せな日本を守るために生命を捨てたのであり、

戦後の日本は再度そういう国をつくったのである。

子供や孫の世代がサイパンに新婚旅行にくるようになったのを見て

死に甲斐があったとおもっているはずである。

 

私より約10年年長の(終戦時25歳)古川潔氏は華南の地を桂林まで転戦した人で、

靖国神社の経理部長をなさっていたが、

あるとき、靖国神社の境内が若い男女の宴会場になっているのを嘆いて、

深夜は境内を閉鎖しようという意見が出たとき断固として反対した。

 

自分は英霊の気持ちを良く知っている。

誰でもいい何でもいい若い日本人に自分達のことを思い出してほしいのだ。

幸せな若い人を見れば嬉しいのだ。


(中略)

 

当時のアメリカ兵が日本の子供を見てどう思ったか(中略)

 

その一「この島の子供はチョコレートを知っている。なぜだろう。日本は文明国らしい」 (筆者独り言「はぁ?」)

 

その二「子供は食べずに家にもって帰るとは。日本は文明国である」

 

当時日本の三百市町村は空襲のため瓦礫の山になり子供はハダシだったが、

日本人の教養、礼儀、精神は健在だった。

 

また、戦死した人の心をうけつぐ心が子供にもあって、それが戦後の復興を実現した。

 

アメリカの占領政策は日本人の心を改造しようとしたが、これも日本経済の高度成長と

高度工業化の方が先に実現したので失敗に終わった。

 

 

戦後六十六年間日本は軽軍備で過ごすことができたが、それは一にも二にも身命を賭して

勇戦敢斗した日本人の底力と気概を外国が知っているからである。

戦後、我々は豊かで住み良くて、世界中から模範と仰がれるような国づくりに成功したが、

そんな日本の成長についても外国の方が日本より良く知っている。

日本人の方が知らない。

 

(中略)

 

話を元にもどして、昭和一桁世代が知っている戦争中の日本人の原爆観を書いておこう。

 

その一、日本が先に発明したらもちろん先に使ったんだからしゃあないな。(略)

 

その二、(略)焼夷弾より遥に殺傷力のある原爆も武器の一つに過ぎないと分かっていた。

 

その三、日本陸軍のお偉方はこれで降参する決意を固めることができてホッとしているだろうな。

 

戦後登場した歴史家が想像するより日本人ははるかに程度が高かった。

と、後世に伝えておきたい。

 

* * * * * *

 

今日こうして、かつての敵国の風習である「クリスマス」とかいう、

中東に生まれたお方のお誕生日を、ほとんど国民行事のように

お祝いするという風景は、

 

ご先祖様達から見れば、非常に微笑ましく、

子孫たちの幸せを願って戦争で散った英霊達から見れば、

誇らしく思えるのかも知れません。

 

ということで、今日はご先祖様に感謝しながら

幸せを味わい、噛みしめていきましょう。

 

 

2011年12 月25日 (日) | 個別ページ | コメント (0) | トラックバック (0)

自分流の模索。

 

今年もあと1月を切りました。

そして、今年の大みそかで私は35歳になり、

丸8年ホッタの社長を務めたことになります。

 

何もわからぬまま、ただ使命感のみで跡を継ぎ、

たまたまその時抱えていた経営課題に対し、

比較的素直に取捨選択をするだけで

ある程度結果がついてきてしまった

(要は人財に恵まれていた)前半の4年間と、

 

売上がアタマを打って、リーマンショックの影響を

モロに受け、そこから立て直して行く後半の4年間。

 

まぁ、いい経験をさせてもらってると、思います。

 

昨日新入社員の受け入れ時の恒例行事、

会社の歴史と経営理念のレクチャーをして、

先代社長たちのやってきたこと、決断、

生き様等々を話しながら、

 

果たして自分はこれからどのように

その次の世代に語られるのだろうか?

というようなことを考えました。

(まぁ、相当先の、それも上手くいけばの話ですが)

 

これからいろいろな選択肢がある中で、

きちんとした経営をしていくためには、

自分の中で一つの「軸」を定める必要があるんだと思います。

 

その軸とは、今の自分にとっては、

先日のブログでも書いた

 

「ご先祖様と同じお墓に入れるかどうか?」

 

という問いかけを常にし続けることかと思います。

 

これって結構門外不出の秘伝のタレ的なものかも知れませんが、

 

こういう価値観を世の中に広めたいとも思いますので、

あえてこういう場所に書いてみます。

 

いつの日かあのお墓に入るときに、

父や母、(どっちもまだ生きてます)、祖父母、曽祖父母たちに

 

笑顔で迎えてもらえるのか?

 

否か?

 

その問いかけをしていけば、

 

派手な成功はしなくとも、

地に足をつけて、

着実に企業を成長させることはできるかと。

 

そして自分の軸をそこに置くと、

結構余計な雑音が消える気がします。

 

継ぐべき事業のあるなしにかかわらず、

良い人生を送るための一つのアイディアとして、

この投稿がお役にたてば幸いです。

 

 

 

2011年12 月 2日 (金) | 個別ページ | コメント (0) | トラックバック (0)